もうほとんどめまいの兆候はなくなりました。起床時にたまに「あら?」と思うことがあるものの、耳詰まり感や音割れまで行かずそのままおさまってます。
本日、耳鼻科クリニックでも、そろそろ大丈夫そうだねと言われ、とりあえずいまは二週間に一度の通院が一ヶ月くらいにはなるのかなと思ったら、二種類処方されてる薬のうち、漢方薬(ツムラ五苓散17番)は当面止めておきましょうってなり、薬を減らしたので様子を見ないといけないからまた二週間後に来てね、と。
経験上、たしかにそういうもんなんですよね。薬が増えると身体に合うかどうか副作用が出ないかどうかを診るために最初はわりと短期で診ることになる。薬が身体に馴染むまで10日~2週間くらいかかるのは身体で知ってる。
その逆もありでありまして、離脱作用(離脱症状?)って言いましたっけ、薬をやめるときも二週間くらいで様子を診てもらった方が安心なのではあります。これがあるんで医者の処方薬を自己判断で勝手に増やしたりやめたり、もうよくなったからやめとこなんてしちゃいけないのです。痛み止めとかかゆみ止めとかの対処療法薬ならいいのかもしれませんけど、長期間にわたって服用する薬の自己判断は危険。
逆に言うと、飲み始めて即効で効くような薬なんか怖くて服用できないですよね。じわじわと蓄積されて効き始めるわけで。まあ、漢方薬は離脱作用も少ないとは言われてるようですが。
めまいも自然に収束してもう大丈夫なのか、処方されてる「アデホス」が効いてるからおさまってるのかわかりません。鹿威し(シシオドシ)みたいに少しずつ水がたまってきてそれが一気に排出されてめまい発生、って感じでしたから、もう水がたまらなくなったとは思いにくいんです。体質の問題もあるでしょうし。だから、薬の効果で水がたまらないうちに常に排出してる状態の可能性もある。アデホスを少しずつ減らして変化がないか見ていくことになるんだと思います。
いずれにしても、医者は患者を離さない、って感じはしますw
前回もらい忘れた「聴覚が一番悪かったときの検査結果」ももらってきました。
一番悪かったといっても、実際に一番悪かったときではないです。なぜって一番悪かったときは一歩も歩けなかったから。めまいがおさまり数日して外出できるようになったあと、耳鼻科に駆け込んだときの検査結果です。一歩も歩けないときも調べてみたいけど、たまたま入院でもしてるときに発作が起きないと無理でしょうね。
○で結線してるのが右、×が左です。
ちなみにデシベル(dB)というのは音の強さ(音圧)の単位です。ゼロデシベルが人間の聴力限界でそれを1とし(1と決め)、20デシベルごとに10倍になります。20デシベルまで聞こえると40デシベルまでの人より2倍耳が良い、って意味ではありません。
10デシベルで静かな息の音、20デシベル(ゼロデシベルの10倍)だと葉っぱが風でゆれてカサカサってする程度の音、40デシベル(ゼロデシベルの100倍)が静かな図書館内の音、一般的な会話は60デシベル(1000倍)程度と検索したら出てました。地下鉄内で100デシベル(10万倍)。
聴力検査で20デシベルあれば上等もいいところみたいです。
40デシベルでもたぶん日常生活にほぼ問題ないと思います。その一番悪かったときの左だけ30~40でもいわゆる難聴感はまったくなかったですから。もっとも右が聞こえてたからってのもあるでしょうけど、ステレオ的な音場定位感もおかしくなかったです。生活音って静かな図書館程度の音より大きそうですから。
今日の検査分はまたまたもらい忘れちゃったのですが、前回検査したときの結果が以下のとおり。今回もそんな感じで前回から変化ないし、この歳でこれ以上はよくなりようがないと思う。
見てわかるとおり、なんで私はこんなに耳(聴力)がいいんだろってくらいすごいです。人間、取り柄はあるもんです。
ただ聴力が良い(音が聞こえる)のと「良い音で聞こえるか」はどうやら別問題のようで、めまいが酷かったときは左耳の音割れが不快で音楽を聴く気になれませんでした。とくにイヤフォンとかヘッドフォンなんか全然ダメ。気持ち悪くなっちゃいます。
そこらの不快感がなくなり再び音楽を常時聴くようになったら、スピーカー(とイヤフォン)に不満が出ちゃって。不満というよりいつまた耳がおかしくなるかわからないし、もういい歳だし、良い耳で音楽を楽しめるのもそう長いことはないだろなって考えたら少しでも良い音で聴いておきたいと思った、のほうが正解かな。
でも部屋が部屋ですから「オーディオ」に凝るようなスピーカーもアンプ類も置けません。オモチャの延長でしかないんですけど、ちょっとだけいまよりマシな状態にしました。
この話は「物欲」としてまた別の機会に。
★-------
10/13:編集追記
めまいで通ってた耳鼻科。本日ようやっと仮釈放になりました。今回は6ヶ月もかかりました。もっとも最後一ヶ月は様子見の通院だったけど。まためまいが起きるようになったら来てくださいと。人によって違うので数ヶ月後か数年後かわからないそうだ。前回が四年前だから数年は先だろうと楽観。
— なかの (@mn2516) October 9, 2019
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そろそろ耳のトラブル終わりそうですね。安心しました。
それにしても耳が良いですね。音楽愛好者の特徴です。趣味というのは知能の問題と身体的能力とが関わっています。体力が無ければ登山の趣味は持ち得ない。悪い喩えですが目が見えなければ絵画鑑賞の趣味は持ちようが無いし、耳が聞こえなければ音楽の趣味は無理です。耳や目が駄目でも音楽史や絵画史で云々という人が居ましたがこれは別次元の話。
耳が良いと云っても
1 聴力が良い これは物理的に証明できる
2 周波数の認知 これも証明可能
3 音質の認知 これは個人的感覚で数値的に証明できない
音楽愛好家、器楽の演奏家、オ-ディオ愛好者は、この123を満たしている人に多いと思います。
なかのさんは1についてはグラフつきで証明済み(鉄証です)
2についても「絶対音感」か「準絶対音感」を持っているのではないでしょうか。というのは30-40年前ですか、日本経済新聞の文化欄に出ていた「荒城の月に半音を」というエッセイに驚いて話をしたところ、いきなりその部分を歌ったのです。最初普通に唄って次に「花の宴」の「え」の音を半音換えるのならともかくいきなりですよ。あれには驚いたな。この話忘れているでしょうね。(註1)
「絶対音感」・・・憧れますよ。実は「準・・・」だと思うけど身内に二人いました。一人は弟。もう一人は息子です(故人)
弟は本能的特質で楽器はあとから、息子は5歳からピアノを習いました。かく言う拙メは完全なオンチです。それだけに「憧れる」のです。ただ弊害もあって息子は原曲とキィが違うと「気持ち悪くてしようが無い」とよく云っていました。
平成10年(1998)年、最相葉月氏が著した「絶対音感」(註2)は音に興味がある人は必読の名著ですが、この本や別の本にも似たような事例が書いてあります。
ある家庭の主婦(音楽には全く関係ない)ですが銀行へ行って待っている間館内に流れている音楽を聴いていると気持ち悪くなるのだそうです。原因はエンドレステ-プの疲れ垂れで音程が狂っているためとか。
あこがれの交響楽団にようやく入れたのに自分の基本ピッチと違うので健康障害を生じて泣く泣く退団したというバカな話もあります。おそらくピッチインフレの時代かも。
このビッチインフレを厳しく糾弾し続けたのが故山本直純氏で今は大方442Hzに落ち着いています。(註3)
ともあれ、「絶対音感」はプロの音楽家で20人に1人、一般人で20万人に1人だそうで、中野さんは「特殊な人」の可能性がありそう。
「50Hzの聞こえ方が変、半音まではずれていないが」というのは凄いことですよ。
G1の音は49.00HzですがG1♯は51.91Hz・・その差は2.91だから「半音はずれていない」としてその半分だとしたら1.455Hzで信じられない!!だけど解る人には解るんだよなァ(口惜しい・・!!笑い)
*オクタ-ブ表記は国際式 A4=440 ヤマハ式は440=A3
音の美しさの感性、これもなかのさんは楽器をやっているから相当なものだと思います。自分の音を少しでも綺麗にしたいと励むのはプレ-ヤ-の本性で必然的に音の美の感性は鋭くなります。
とにかく早く完治して音楽を聴いて、ギタ-を弾いて、唄って健康に障り無い程度に飲んでください。
(註1) 現在聴いている「荒城の月」は滝廉太郎の死後山田耕筰が改変(編曲?)した もので
1 キィをロ短調からニ短調へ
2 小節数を改変
3 3小節目の4音目 歌詞の「花の宴」の「え」のG♯音を改変して半音 下げてGに
現在では「荒城の月 半音」と入れて検索するとガザガサ面白い話が出てきます。
「荒城の月を勝手に改変した山田耕筰の悪逆非道」なんて過激なのもあって笑っちゃいます。尚、色々な歌手が原曲と改変版の両方を歌っています。
(註2) 「絶対音感」 1997年第4回小学館ノンフィクション大賞 ベストセラー
(註3) 基準ピッチは従来「勝手方式」だったが1939年ロンドン会議でA=44
0Hzに定められた。バッハの時代は415Hzでバロックピッチと言われ、そ
れ以降ピッチは現在半音程度上がっているという。日本でもたしか1948年
頃統一したのだが、数ピッチでもあげると音が華やかになるので「掟破り」が
横行し山本直純が怒ったわけである。
カラヤン時代のベルリンは415で規定体重オ-バ-で戦うボクサ-みたい。
ヨ-ロッパでは他にも多いとか。
我が国ではN響はじめ多くのオケが442Hzだそうです。